ぽこぽこうんぽこ

誰かチャンスをください。頑張って自分なりに小説を書いています。

坊主憎けりゃ袈裟固め

作品について

今も昔も、花粉症がしんどい。社会人2年目という節目(?)を記念して。

書きたかったテーマは「花粉症と孤独。新年度、子供から大人へ。これらを振り返った現在」

私小説Twitterで10年間小説投稿してた人が努力実って云々という話を見て衝動に駆られて。まあ今年もなんも変わらんのだろうけども、頑張って投稿していきたいとは思う。

 

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 花粉症という言葉を知ったころには既に自分が花粉症であることを悟っており、小学校、中学校、高校、そして職場と常に自分の机かカバンには家庭科の授業で作ったティッシュカバーなる必要性が皆無なアイテムが装備された生協のティッシュとポケットティッシュが常備されていた。

 ウンコをしたくなったら授業中であろうとウンコをしに行ったしもう我慢とかの限度を超えた激痛が腹とケツを襲うのでそういうものだと知っていた。

 世の中にはウンコに行くことが恥だと思ってる若人が多すぎる。ウンコがしたければウンコをすればいい。それと同じように鼻水がでたりムズムズしたりしたのなら鼻をかめばいい。

 

 2018年の3月31日、年度末であるこの日が僕の中でどういうものだったかというと学生最後の日であり翌日から社会人という立場に身を置くという境目に当たる日だった。

 そんな日を母親のばあちゃんというもう何の思い入れもない人(ご長寿だったらしくあったことはあるらしい)の法事に出かけていた。

 兵庫の山奥にある目的地へは車で向かっていた。先月まで教習所に通っており父親としてはそこで車デビューをしてもらうつもりだったのかもしれないが、教習所に通ううちに車の危険を十分に知り。また、Youtubeを開けばヒヤリハット系の動画が「あなたへのおすすめ」に上がり続ける。そんな荒んだ車に対しての印象を培ってきた僕が運転席に座ることはなく、後部座席でいつ人を殺してもおかしくないこの鉄の塊のゆりかごで惰眠をむさぼるのであった。

 

 兵庫の山奥は本当に山奥なだけあって四方が山に囲まれている。しかしこんなところにも電車は通っており、しかも話を聞くと梅田まで1時間ちょっとというらしいからJRさんはすごい。しかし周りには何もない。改札もない。四方には山がある。

 山からは黄色い粉、つまるところの花粉が大量に散布されていた。車の窓には黄色い粒状のものが大量に付着しており、山というか辺りは黄色に染まっていた。

 日本の花粉はここで製造されていると言われてもおかしくない量の花粉を目のあたりにする。そんで、これが自然も何もないビル街まで飛んできて花粉症にさせているのか。なんでそんなところまで飛んでくるのか。梅田まで1時間のJRがそれを運んでいるのか?JRが憎い。

 目的地について寺のお堂にあがる。既に花粉に侵された僕の鼻はすでに決壊しておりティッシュではなくタオルを鼻に当て続けている。家族と従妹家族の中でここまでひどい症状の出ているのは僕だけで全員のティッシュが僕の下へと集められた。

 客間に通されて玉露のお茶を出されるも熱いだけで味がしない。高いお茶には適正な温度がなんとかとかなんかあるんじゃあないのか。知識がない人を咎めようにも自分にも知識がないため何も言えない。我が家系は圧倒的に高卒が多いため、大人は権力に抗うことはせず場の空気を読む。

 玉露を出されたら「やっぱり玉露は違いますねえ」と言う。

これが社会だ。明日までにはこの技術を習得せねばならない。前に倣え右に倣え。玉露はうまい。これが社会だった。

 この社会の忖度玉露をだしてきた坊主の嫁はご満悦そうに

 「遠いところからようきなさった」と言う。田舎に住んでるババアはみんなこのようなことを言う。

 鼻は決壊し、高いはずの茶葉を使っただけの熱湯を口に押し込まれくだらない会話に参加させられ、僕の人生最後の春休みはこんなことで終わってしまうのかと思うと涙が出てくる。くしゃみも出てくるし鼻水も出てくる。周りは僕のそんな現状をくみ取ったのかティッシュやハンカチを渡してくれる。人はこうも温かい。今は年度末、別れと出会いの季節である春はもう来ている。

 

 数十分待たせたてようやく年老いた坊主がここにきて、「さてさて」とよくわからん掛け声とともに一族は移動を開始する。

 幾度か来たお堂で坊主のライブが始まる。目の前には金色の仏像がいくつもある。周りが手を合わせるのでそれに倣う。無神論者であろうと何だろうと偉っぽいモノには手を合わせて首を垂れる。社会人の第一歩である。

 一定のリズムで何かよくわからない経文を唱える。何もわからないので何を言っているのかもわからないしそれがどういう効果があるのか意味があるのかはだれもわからない。坊主はそれを解説することもなくひたすらに唱える。

 学生時代、1学年目のときにあった生物基礎とかいう科目の話をしたい。

 僕が如何にその科目に興味がなかったかというとその学年では全部のテストで学年最下位を取り続けた程度には興味がなかった。生き物は勝手に生きているし、人間も勝手に生きている。ミトコンドリアを解剖して組織が核が壁がとかと言われても知ったことではない。高卒で就業する男たちがその知識を今後活用する機会は二度とないだろうとの反骨精神で勉強捨て、授業ではふて寝、テストでは赤点すれすれの点数を取り担当教諭からは心配をされた。赤点すれすれは一見危険そうに見えるが、底辺高校のテストは平常点の割合が非常に大きい。2~3割はそれで補えるため、たとえ赤点をとったところでそう簡単には欠点にはならず、逆にその制度に懸けていたおかげでなんだかんだで中ごろの成績に収まるという算段であった。

 

 興味がないものにはとことん興味のないという姿勢をとってきたので坊主がブツブツと唱えているときにもこのお堂には消防感知器がついているんだなあとか、できるだけ音をたてないように屁をこいてみようとか思っていた。

 気づけば寝ており倒れていた。周りは上手に寝ており僕が倒れた衝撃で皆が垂れていた首を上げて坊主を見やる。

 さすが年を重ねてきただけあり、暇を持て余してある我々に坊主は余興を始める。

「ご焼香、お願いします」

 文字を読むに、お香を焼くのだろう。これの意味も知らないし誰も知らない。親になんでするのか?と尋ねたところで「焼香をするのだ」と、”焼香をする”という動詞があることを教えられるだけだった。

 

 一度寝てしまったせいで目は冴えている。

 天井には感知器があったし、屁をこいたところで山に囲まれたこの環境では虫は鳴くわ、鳥は鳴くわ、坊主は木魚を叩くわ、お鈴を叩くわブツブツ言ってるわで周りに聞こえることはない。

 気づけばまた鼻が決壊している。タオルは先の客間に忘れてきてしまった。不格好に袖で拭おうにもこれは新年度よりユニフォームとなるはずのスーツ、もしくはこのような行事に着用され続けるはずの喪服であったため憚られた。

 ポケットにあったティッシュで難を逃れるも、第一波に過ぎず、二波、三波が押し寄せる。

 焦りか、花粉か目には涙。口からは咳と嗚咽。尻からは屁。

どうすればいいのか、辺りを見渡しても器用に社会を生き抜いた大人たちは二度寝に入っており、年下の子どもたちは膝枕で寝ている。ならばと坊主に助けを求めるもブツブツとまだしゃべり続けている。

 周りに人がいても彼らは助けてくれない。そこで同じ時間を過ごしているようでもそれぞれが違うことを思って違うことをしている。

 子どもたちから見れば自然あふれるこの環境で母親の膝を枕にして寝れるのはさぞ気持ちよかろう。大人たちは平日で疲れた体を、明日からまた激動の一年が始まるであろうこの日に田舎で親族と過ごすという少し特別な日の昼にうたた寝をするのはさぞ気持ちよかろう。

 

 僕はひとりぼっちだった。

 

 この環境で一人楽園を見出せることができなかった。

懐のティッシュは既に尽きており、新品だったはずの喪服には唾が飛び散っている。ティッシュは爆発しており懐を濡らす。紙に包まれた水分過多で粘着質のものが懐で爆発している、そんな感覚を知ってしまう。

 耐える。既に佳境だったらしく坊主が奏でるビートは加速していく。

花粉への対抗手段を失った僕は遠慮なくくしゃみを繰り出す。

坊主は左で木魚、右手で鈴を叩く。最後に何を言ったのだろう。やはりわからない言葉をムニャムニャと唱えてこちらを見やる。いつの間にか全員が坊主を見ており、坊主は僕らに死とは何か、法事とはなんのためなのか、親戚が集まるとはどういうことかというのを説く。

 僕はそれを聞いていない。喪服の袖はクリーニングを要する事態になっていた。

 

 一同は、法事が終わり墓参りを済ませた。

 一族が珍しくそろったということで記念にステーキでも食べようと近隣では有名なステーキ屋に通される。奮発をしたのか個室に案内をされて肉を食らった。

 母親のばあちゃんを知る人は母親と、僕から見たばあちゃんと、母親の姉だけだった。酒も入り思い出話に花が咲いていたが残りの一族は近況報告に花を咲かせる。

 明日から社会人になる僕にスポットが向けられており、社会に対する不安や友達がどこに就職したかとか、給料で何がしたいかなどを適当に話す。

 美味いものを食ったからか鼻のムズムズは収まっていた。一族で記念写真を撮って店を去って解散となった。

 5歳ほど年の離れた従姉は免許を取ってから運転をするようになったらしい。従姉の父親は笑顔でその話をしていた。僕は相槌こそ打ったものの、その話を聞こうとはしなかった。

 

 帰りの車でもやはり僕は後部座席で揺れており、父親は坊主のようになんでこんな日にこんなところまで運転をせねばならんのかとブツブツ言っていた。坊主のものとは違って、このブツブツは聞き取ることができた。

 ふと山を見てみるとやはり黄色に染まっていた。山吹色。山、吹く、黄色。なるほど。

 

 翌日、4月1日に社会人となった。入社式、職場案内。そして早速研修が始まった。

研修ではよくわからん人がこの会社で使うシステムやルール等を話している。そんなものは現場で教えればいいのにと思って聞いていなかった。隣にいた同い年の子も同じように感じていたのか開幕から机に突っ伏していた。

 社会人であるとは何か。僕に求められているのは何か。研修場の天井は高かった。感知器も良いものがついているのだろう。知らんけど。

 上を見たり横の子の寝顔を見たりしているうちに眠さを覚える。目の前には自分同様キメたスーツに身を包んだ男女がズラッと並んでいる。右に倣え。前に倣え。そうは言っても僕は彼らのように興味も沸かない話を聞くことも理解することもなかった。

 気づけば寝ており、今日は解散との号令が聞こえた。僕はと言うと突っ伏すとまではいかないまでも首は垂れていた。成長である。

 隣の子は未だ起きず、起こしてやる。彼は僕に礼を言う。また明日ね、と声をかける。研修は2週間も続くらしい。4月もこの時期にもなればあまり花粉は収まってくる。研修場を後にして周りを見わたす。ビルに囲まれており山から吹きだすようなものを感じることはなかった。しかし、くしゃみは出るし鼻水は出た。周りは僕を見ていない。

 日本で一番の乗車率を誇るという路線に乗る。そこでもくしゃみと鼻水は出続けた。IT社会。周りは皆スマホをいじっており、イヤホンをしており、僕の出す騒音や不快感を覚えるような音が届くことはなかった。ティッシュが切れたのち、鼻をすすり続けてもやはり誰も声をかけてくることはなかった。ただ、僕と同じく鼻をすすり続ける輩は何人もこの車内にはいて心なしか孤独を感じることはなかった。自分もスマホを手に取りお気に入りのアーティストのプレイリストを再生した。

 

 あれから1年が経った2019年の4月である。

 こんな文章を書くにあたって思い出すのは、やはり昨年の3月31日にステーキ屋で話した社会人になる直前の僕の話したことだった。

 社会人になる前に抱いていた不安は全て消し飛び、税金や年金に対する不安、たいして良くない賃金で100歳まで働き続けなきゃいけないこの社会、病気は何でも治るようになるらしい、少子高齢化、そんなものばかりが心配になってくる。ただ、意見を出すことはなく右に倣え前に倣えの根性でダラダラと生きていくしかない。

 

 この1年、給料をもらい続け、貯め続けた。ほしいものは特になかった。

 ただ、会社に行く前にマスクとティッシュを自分のお金で買えるようになった。

 配属が決まったあたりでは花粉のシーズンが終わっており、一年経って僕の花粉の症状を見かねた先輩たちは抗アレルギー薬の存在を教えてくれた。これでティッシュの消費は抑えられる。職場は暖かく、鼻をすすると情報が手に入った。

 なぜか心の奥であり続けた花粉から連想される孤独のイメージは社会人なって経験したこの2回目の4月という月で完全に消え失せた。

 

 孤独ではなくなった。花粉症が治る気配はない。今でも兵庫の山々は花粉を生み出し続けている。