ぽこぽこうんぽこ

誰かチャンスをください。頑張って自分なりに小説を書いています。

2022年7~12月に見た映画

お久しぶりです。

2022年は映画の話をしようと思っていましたが映画の話って映画を見ないとできないんですね。(前回の感想を引用)

10,12月は一本も見ていませんので、2022年の後半分を一気に更新します。

また、タイトルは便宜上、~12月とさせてください。

東京ディズニーランドが千葉にあることに対して怒ってる人は頭おかしいと思うよね?同じだよね?

 

今回、いくつかの作品がとても良かったため、1万5千文字を突破しています…。

 

一応、2023年も続けていこうとは思っていますのでお付き合いください。

 

前回の映画感想(4~5月)はこちら

worldplplpl.hatenablog.com

 

 

犬王(2022年)

9点 音楽、古典、アニメの融合。湯浅政明、平家の今後はお前にかかっている。
見た日 7月6日
新しい映画なのでまずはホームページを

劇場アニメーション『犬王』


湯浅監督はここ最近、テレビアニメシリーズでもない単発のアニメ映画を継続的に制作して発表している。
夜は短し歩けよ乙女」は原作が大人気なうえに、そもそも森見登美彦同原作の「四畳半神話大系」のアニメで湯浅監督にホレた人も大勢いるから大ヒットはしたけれど、そのあとの「夜明け告げるルーのうた」「きみと、波にのれたら」は自分がアニメから離れていたこともあってか評価を見る機会すらなかった。
ちなみに、あまりにも犬王が良すぎて「きみと、波にのれたら」も観た。こちらもあまりにも良すぎるのでお勧めです。

 

単発アニメ映画、誰も見ない問題。

前回バブルの記事*1でも話に上げましたがこの単発映画というのは非常に曲者。


そもそも一般人が一年で映画に行く回数というのは限られている、というのも定番の作品が毎年映画化されるから。あるいは話題作がハリウッドからやってくるから。そもそも一般人は映画に興味なんかないのだ。
その中で知らない監督のしかも幼稚な印象のあるアニメーションを見る機会などほどほどない。でも、作り続けないといけない。なければ見れもしないから。
そして、この手の映画はアニメオタクはまあ見るのだろうけれど、大衆向けに作られた作品はストーリーや手法がオタクには刺さらないし、当然の如く尖った作品は一般人には余程でないと受け入れられることもない。
湯浅監督は経歴も申し分なしの実力も才能もあるし評価も高いクリエイターだから、これまで通りアニメ的には面白いのだけれど、大ヒットするとは到底思えないし誰にでも薦めることができるかというと決してそんなことはないと皆が思っていた程度の作品だった。


ただし、本作犬王は違った。

犬王は平家物語に出てくる能を完成させた伝説の能楽師
実際には平家物語以外で記述はほとんどないし作品自体も全く残っていない"作品では足利にへつらう将軍のために慎めと言われたため”という正に伝説のようなエピソードが付随している。

猿楽の名家でもある比叡座当主の子どもとして生まれたものの奇形であったために人ではなく犬として育てられた犬王と幼少期に失明し琵琶法師となった友魚(ともな)の二人にスポットが当たる。
犬王は世間から疎外されていた折、友魚と出会う。
友魚は堅物な琵琶法師組合を抜け出し新しい平家物語を演奏する。
謡曲から演歌、ロックが誕生した様に新しい音楽とパフォーマンスは大衆を魅了する。
この登場人物二人って平家物語をやはりアレンジして大衆に発表した湯浅監督と、本作の前にはやはり湯浅監督の代表作でもあるピンポンでもキャラデザを務めた松本大洋のふたりを連想させますよね。

琵琶法師の演奏と犬王の舞、このふたつのおかげで劇中は常に音楽が鳴っている。
退屈であるはずの古典をミュージカル映画のように昇華させた。
もともと平家物語は琵琶法師が演奏し、語り継ぐことによって物語となった経緯がある。湯浅監督は我々大衆に平家の物語を伝えるための琵琶法師なのだ。

ところでリズムがあり続ける映画といえば北野武座頭市を思い出します。
あれも盲目のサムライが出てきて、劇中ずっと踊っていたというか、リズムがあった。
なぜずっと踊っていたのか、本当に当時の人たちが踊り狂っていたかどうかなんて言うのは知る由もないんだけれど、彼らの本来の日常、特に娯楽がない時代に楽しいシーンなんていうのはどこにあるのか最高潮の部分部分を切り取っていくと人生どころかその時代なんていうのは2時間程度に納まってしまうんだろうなあ。

 

ラストの音楽がないまま犬王が舞い続けるシーン。

友魚は自分のやりたいことをやり続けるために打ち首、犬王は将軍に降り一世風靡した新平家物語は一時のムーブとして歴史の巻物の一節を飾ることで終わりを告げ後世に名を残すことになった。
犬王は将軍のために舞い続ける人生を選ぶ。
音楽がない(友魚が死んだことの隠喩)なかで孤独に舞を見せる姿、これが犬王の一生だった。

 

本作品にて初の声優に加えて歌唱も担当したバンド:女王蜂のアヴちゃん自身がHALFの歌からも掴み取れるように少々異端な存在ではあり、そこをウリにしているアヴちゃんのファン層にもこのメッセージは届くので名キャスティングだったと思う。
加えて、アヴちゃんのバケモン歌唱力も惚れ惚れします。

これを見た女王蜂ファン以外の人も女王蜂を好きになってくれたら良いよねえ。

素晴らしいタイアップだったと思います。

 

何度も書いているように古典は退屈であるはず、それをミュージカル調の映画に仕上げて現代の琵琶法師として平家物語を語り継ぐどころかアレンジをして我々に見せた、これが湯浅監督の新作映画「犬王」である。


呪詛(2022年)

3点 洒落怖だなこれは。ちなみに面白くない
見た日 7月11日


急にインターネット上で話題に上がったネットフリックスで見れる台湾映画の新作ホラー。
主演の女優がやたらに戸田恵梨香に似ている。本当に。

ホラー作品っていうのはアイデアだって言う話はこのブログでずっと話続けている。
本作の映像回しについても孤児を迎える母親のホームビデオという視点で日常に潜む恐怖を感じさせてくれる。

ところで、本作のホラー要素は何かって言うと友人の田舎で伝えられている風習を主人公たちオカルトハンターYoutubeチャンネルが取材するという話。
そんなクソみたいなことを生業としているやつがなんで子ども育てたいと思うんだよ、世の中わけわからないことばかり。
そして、そのオカルトハンターたちは風習を全部バカにして大荒らしして村の神の祟りを買うという話。
なんでそんなことするんだよ。


構成が完全に2chの「洒落にならないくらい怖い話」シリーズの名作のくだりをなぞったかたちになっている。

祟りについては解説があるんだけれど洒落怖を知っている人達からすればこんなのは多数あるテンプレートでしかないから語る必要もない。
加えて、この手のホラーは突けるような穴なんかいくらでもあるんです。
だってそんな呪いなんか現実にはないから、だから話についてツッコミはいれません。
それにしても各要素が面白くなさすぎる。

まあ、何が言いたいかって言うとただのホラー映画です。
イデアについても目新しいものがないし、別に面白くもないです。
洒落怖で「ことりばこ」でも読んだ方が良い。以上。

追記
妹氏が同じくネトフリで呪詛を見たとのこと。
感想は育った環境が同じだからか全く同じ感想でした。

そのときのツイート


考察が〜みたいな感想も見たけど、考察もクソも話がめちゃくちゃ、そもそも本編の各要素の線繋がらないのに考察はオナニーでしかない。

主人公が戸田恵梨香に似てる以外の評価ポイントないし、過大評価も全部ネトフリが金ばらまいてるだけだろ、もしそうじゃなかったらセンスなさすぎてもう無理だは


音楽(2020年)

6点 青春爆発
見た日 7月17日

 

オタワ国際アニメーションフェスティバル2019年の長編部門グランプリ受賞している、スゴイ作品らしいね。
ヤンキーがバンドを組んでフェスに出るという1時間と少しの映画、加えて監督がほぼほぼひとりで作品の全てを作っているという奇作ともいえるような魅力がある。

バンドを組んで、楽器をもってアンプにつないで弦をドラムを触った瞬間のあの感動、自分も一昨年にギターを買って体験しましたが見るだけ、聞くだけだった音楽が自分の掌にあるようで感動します。
勢いで叩いているだけでも音楽、本人が楽しんでいれば、そしてそれらは他人をも魅了する。
同学校には古美術という音楽オタクが率いているバンドがあるのですがそこのリーダーはそんな彼らの音楽を聴いて覚醒しました。

何かに挑戦して実行してという過程は心を動かされます。
フェスのシーン、歌もなく音楽だけなのは途中で古美術のリーダーがおすすめしたオルタナティブロックのキングクリムゾンのアルバムに感化されているから?
ラストの叫ぶだけの歌も泣かせる。

古武術の前に出ていたパンクっぽいバンドの歌詞が結構好き。
まあ、この映画は分かりやすく言うと男くさい汗臭い青春の「けいおん」だな。

感想読んでもらえたらわかるかもしれませんが、世間で言われてるほどは楽しめませんでした。

 

きみと、波にのれたら(2019年)

100点 オタクは見るな、死ぬ。
見た日 7月17日

 

記事書いていた時に勢いあまって別記事にも書いたのでこっちも見て。

worldplplpl.hatenablog.com


運命的な出会いをした男女がバカップルになり、彼氏の幻影を追いかける彼女のお話なんですが彼女のポジティブさ(アホさ)、そしてそんな彼と彼女を囲む人々に泣かされる。

 

きみと、波に乗れたらの音楽について

ドライブのシーンで冒頭にもかかっていた音楽を基調として「犬王」でも挙げたがこのメロディー、加えて歌詞までもがこの作品全体に活かされている。
幼少期にお互いに聞いていたために生まれた場所が違う地方に来たヒナコと地元出身のミナトが共有する最初のモノとして描かれている。

この音楽についても話します。
世間の人は音楽に対してそこまでの思いを持っていないと思っている。
日常的に好んで音楽を聴き続けている人ってそんなにいますか?これはインターネットを使えるようになって娯楽が多様化しすぎているという百万回聞く論法になるんですけど、音楽っていうのは流れているものくらいにしか思っていない。
多くの人が聞いている音楽っていうのは結局はより多数の人が見るメディア(TV、CM、ゲーム、アニメ、映画、ドラマの主題歌等)のタイアップ作品でしかないんです。
興味があるアーティスト、ジャンルの音楽があれば他の音楽を聴く余裕はないと、それぞれの人生があるからそれぞれ好みなんていうのは千差万別であるはずなのに大ヒットのような曲が誕生する矛盾が発生している原因。


これが、世間の人たちが音楽には大した思いを持っていないという証だと思っています。


ただ、そんな人たちですら好きな音楽、思い出の曲がある。
人生の思い出に残る瞬間で一番簡単なものが音楽なわけ、そしてタイアップされた曲っていうのは今後もその音楽単体でも他のメディアが再度タイアップされる際にも使われるわけ。(権利とかでときどきゴニョるけど)
そして、その音楽はその人生の場面場面を振り返るきっかけになるよね。
好きである必要も聞き続ける必要もない、音楽も思い出もときどき思い返せばよいだけだから。
ときどき陳腐だの、程度が低いとか、なんでこんな曲が…とかの話も目にするけれどそれらも思い出になっているわけだから。
音楽とかの技術っていうのは上を見ればキリがないし、より大衆に響く音楽って言うのは圧倒的カリスマとかがない限りはいずれの音楽も後天的には陳腐なものになってしまう。
つまりは的外れな指摘なんですよね。

ただ、主人公もそれでよかった。音楽はミナトとの思い出だからいくらでも口ずさめばよい執着してもしなくても良いはず。
話が進むにつれて音楽のかかる回数は減っていく。これは主人公が克服したのだと、成長したということを表している。

本作の音楽が合わないという方もいるのだろうけれど、それは仕方がないんですね、だって合わなかったんだから。
でも、ひな子とミナトはそれでつながったから。彼らの人生の思い出だから否定する権利はないです。登場人物たちの話を見ているわけですから。

 

きみと、波に乗れたらの「夏」について

今作はもうひとつの大きなテーマとして夏があると思う。
夏は青春だし熱いし何かが起こるきっかけ
花火が夏の象徴として描かれている。
そして夏の象徴でもある海のある街が舞台になっている。
夏といえばギラギラの太陽とそれを反射させる海(水)だよな、夏は確かに雨や台風も多いんだろうけど一般的にはキラキラしているもんなんだよ。
つまり、明るい映画だってこと。
だからこそ前述もしたけれど彼氏(ミナト)が死ぬというショッキングな事が起こったとしてもそこまで暗い印象を持つことはない。
そして、人々も明るい。

メインタイトルでもある「きみと、波にのれたら」は最初は主人公のひな子が恋人でもあるミナトに対して、一緒にサーフィンをしたいという思いから来ている
それが、後半になるとミナトからひな子に対しての願いに変わっている。あまりにも上手すぎる。
そして両者の願いは互いに叶っている、つまりは両者ともに歩み寄るために努力し達成したということの証明でもある。もうね、俺はこういうのに弱い。

この映画にはたくさんのヒーローとそれに救われた人が出てくる。
ひな子からミナトへ(火事をきっかけにした運命的な出会い)
ミナトからひな子へ(元々、命を救われていることに加えてバカップル時代に発した安易な言葉としても)
わさびからミナトへ(あまりにも偉大過ぎる恩人として)
洋子からわさびへ(自分が周りとなじめなかった際にわさびがかけてくれた洋子は洋子だというに対して)

ミナトと訪れた恋人たちの聖地のタワーにて、ようやくミナトへの思いも振り切れてきたであろうその後のクリスマスの夜に一年越しのミナトからのひな子へのメッセージで不覚にも号泣。こんなのズルい。

 

人生でこんなに号泣したのはここ数年で言うと「ボヘミアンラプソディのエンドロール」「宮本浩次のライブで聞いた異邦人(時間旅行が~)」ここに「きみと、波にのれたら」が加わりました。

 

こんなに好きな映画が出てくるとは思わなかった。
もう本当に全部好き。


ポルカ・キング(2018年)

8点 アメリカンドリームドリーム
見た日 7月19日


ネトフリ限定。ポンジスキーム*2のお話でした。

ポルカという民謡で一旗揚げるためにポーランドから来たヤン・レヴァン、しかし民謡なんて売れるわけないんだな。
でも、アメリカに夢見てやるしかなかった
ポルカに託した夢、そして夢を託す観客たち。

それをつなぐのは絆ではなく年利12パーセントの投資案件。

日本でも定期的に話題に上がっている。昨今でいうと仮想通貨バブルのおかげでキラキラしたやつが自分の家にそこらへんのガキを集めてはした金を集める。
そんなことも平気で起こっている。

 

定期的に挿入される懺悔室のシーンが印象的。
詐欺の告白を行うヤンはやがて罪を償うために自分を罰してほしいといい始める。
ちなみに、神父の親戚も投資しているので早く利息を寄越せと言われる始末。

 

それもこれも全て主人公ヤンの行いのせいなのだけれどヤンは終始ポジティブ。
元々はポルカを広める、ポルカをするために金を集めて実際に公演を行う(大赤字)、店でグッズは販売する(閑古鳥が鳴いている)、レーベルも立ち上げるし全力で突き進んだ。
テレビ番組に出たきっかけで当時のマドンナを射止めることもできているし、おばの言う通りに配管工やデリバリーをやりながらでも堅実に生きていればよかったのに。
でも、それはヤンだけに言えることではない。詐欺師がいれば騙された奴もいるから。
アメリカンドリームに夢見た男に夢見た被害者たちは、実際には金の亡者でしかなかったはずなのに都合の良い時は一緒に夢を追う同士のくせに少しでも期日を過ぎたら石を投げる。
どこから金が出ているのか不明なやつに投資するなんて頭おかしいって叔母ちゃんはずっと真実を言っていた、結局妄言を吐いているのかどうかなんていうのはそいつの正体を見ていないとわからないんだよな。
それは憎くて言っているわけではなくて

 

Jan Lewanで検索するとYoutubeで劇中で語られた場所での公演とかがいくつか出てくるのでそれも面白い。

めちゃくちゃ楽しそうだから。

www.youtube.com


こんな楽しそうな人がいるんだなあ。ポルカって、ポルカオドルカとievan polkkaしか聞いたことなかったけど楽しい音楽ですね。

 

クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園(2021年)

9点 エリートとはなにか、30年国民的家族の象徴を担ってきた作品だから成せたテーマとそれに対する答え
見た日 7月23日

 

クレヨンしんちゃんの持つテーマについて

クレヨンしんちゃんの映画の中でも名作にあげられる作品はいくつかある。
「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」は家族
「嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」では現在
「アッパレ!戦国大合戦」では命の儚さ
「ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」では父親と言う存在(父親目線で)
「爆睡!ユメミーワールド大突撃」では友達(カスカベ防衛隊以外の人間として)
以上を綺麗に描いている。

これらのテーマを描く際には設定、キャラに対しての情報をどれだけ詰めることができるのかが肝心になってくる。
物語を一度でも書いたことがある人なら気づくことなのだが物語というのはどれだけ人や舞台の背景を書くことができるかというのが作品の面白さにつながり、また難しさでもある。
短編の話ではどうしてもワンシーンのみを描くことになるからキャラクターに対する印象は薄くなりがち、或いはキャラしか覚えられないような作品にとどまる。
「バーナード嬢、曰く」でも描かれていたが星新一の短編小説(ショートショート)では登場人物の名前をアルファベットから取られて「エヌ氏」のように、キャラクターの印象を限りなく薄くすることで作品の舞台であったり出来事に読者の焦点が合うように工夫がされている。

なぜこのような話をしているかと言うと、つまるところが家族というテーマを描くためには家族の背景を説明すればするほど作品の面白みに直結するということがあげられる。
しかし、説明をすればするほど面白みは増すのだが、同時に映画の時間が長くなる。
長くなるということはこのブログでよく取り上げているが”ノイズ”が増えるということにもつながるジレンマを抱えている。
ところが、本作「クレヨンしんちゃん」は漫画の連載が30年を超えており(脚注:2007年に原作の臼井義人が登山中に転落し亡くなっており原作の「クレヨンしんちゃん」は50巻にて一度完結をしている。しかしその後、臼井義人スタジオとして当時のスタッフが「新・クレヨンしんちゃん」として今でも漫画の続編を続けている。加えて、アニメの方も国民的アニメとして途切れることはなく2022年現在も続いている)、前述の背景の説明と言うものが既に漫画、アニメシリーズをもって説明しつくされている。
また、繰り返すが30年以上漫画連載が続けられておりアニメについても長らく地上波テレビのゴールデンタイムといわれる時間帯にて放送されていたため国民的作品にまで昇華されている。
このことにより、作品の面白さに直結する舞台背景の説明、とりわけ今回で言うとスポットが当たるのは「カスカベ防衛隊」(脚注:しんのすけ、風間くん、ネネちゃん、マサオ、ボーちゃんの5人が名乗るクレヨンしんちゃんの舞台カスカベを守るための秘密結社のこと。場合によっては各保護者、シロ、幼稚園の先生他、大小問わず彼らの危機の際に助ける立場の者らも面子に加えられる)彼らの説明を事細かにする必要はない。
何よりもこれまでに培われた彼らの面白みはテンプレート化されていてわざわざ新しい試みもする必要はない、そのため映画が始まってからの事の説明についてはもはや様式美ともいえる。

風間君はカスカベ防衛隊の中でも特に良いとこの子というポジションであり、幼稚園生のくせして塾に通っており家も裕福であり将来も期待されておりそれを自分自身も認識して毎日に励んでいる。
そんな彼らしく、天才を育てるカスカベの学校ということで天カス学園への体験入学を仲間と一緒に経験するというお話。

風間君はエリートになるべくしてこの天カス学園に入学を希望しているのだというミスリードから、風間君の本当の意図として物語の初めから示唆されている。
「仲の良い”5人組”」「子どもが”いなくなった”それぞれの家庭」「1週間の体験入学を経ての”成長”」という要素。
これらから導かれる風間君の思いに泣かされる。

これらの叙述的トリックもそうなんだけれどタイトルに謎がついているだけあってミステリー要素が全編にふんだんに盛り込まれていて見応えがある。
もともと幼稚園生だから足りているといえるんだけれど、学園モノとして青春の要素もぶちこむことで物語は倍面白くなっていく。
幼稚園生が学園モノってなんだよと言った違和感も繰り返すがクレヨンしんちゃんと言う国民的アニメだからこそ皆に受けいられる設定。

学生なんて皆そうだと大人はいうけれど、実際は親ガチャなんていう残酷な言葉がトレンド入りするこの世の中は生まれた時点でおおよその人生の道筋は決まってしまっている。
親は一流企業で幼稚園生の時点で塾に通い英語を嗜みのエリート風間君となんとか35年ローンで一軒家をこしらえた一般的核家族の野原家(連載の始まった90年代当時はこんな感じだったけれど、今や上流家庭だろと言う指摘までされている。今後産まれてくる子ども達のガチャはより渋くなっていくため現実の方が厳しい道筋であるという…)、そんなところの子どもが一緒なのは幼少期の今だけだと頭の良い風間君なら気づいてしまっているの、大人になった俺たちが見たら泣いちゃう。
今が永遠ではないということに気づくというのは残酷だよな。
まあ、これはこれはサザエさん時空クレヨンしんちゃんだからこそ効くメタ要素でもあるわけなのだが、これもやはり国民的作品だからこその為せる業。

ラスト青春とは何かと言う問いに各々が答えていく様子、彼らにも同じような出会いや別れがあり青春がありそれらを踏まえて今がある。
これは映画を見た視聴者、大人であれば保護者への立場として、子供であれば保護者の皆の答えを聞かされる立場としても。

子供達、頼むからいろんな夢を見てほしい。
好きな物に夢中になって好きなことをして、好きなことをやるためにもいろいろやって、頑張って生きていってほしい。
クレヨンしんちゃんという作品をここまで活かすことができるんだと感動した。
オトナ帝国の逆襲を始め名作と言われるいくつかに並ぶ名作だと思います。

 

トゥルーマンショー(1990年)

9点 真のリアリティーショーとは
見た日 7月23日


トゥルーマンショーという架空のテレビ番組を舞台にした映画。
テレビ番組のなかでも現在では自殺者まで出して物議かもしているリアリティーショーの最たるものがこの番組なんだろうな。
アメリカではこれは実話ですという前書きがない映画はヒットしないなんて言われているけどいきすぎた演出というのはリアルであったとしても我々の頭の中で想像したものと同じ、酷い結果をもたらすものです。

胎児の頃からテレビ局に抑えられた人生、そこからの人生はすべて演出家と俳優により造られた人生。
過ごしていく間にハプニングがありだんだんと”気づいてしまう”と言うお話です。
この気づくまでの演出も大したもので、妻がスーパーで買ってきたという商品をやたら説明口調でトゥルーマンに向けて説明をしてきたり、看板に毎回壁ドンして喋りかけてくるジジイであったり、CMの演出をわざとしているところが面白い。
1990年代というテレビ黄金時代だからこそメタ的に映りウケた演出ですよね。
さらにそれを本当のリアリティーショーではなく、架空の番組として映画でやってしまうところも当時の流行りっぷりとそれに対しての皮肉、アンチテーゼのような意味合いも強い。
今や、Youtubeで人生の何割かを本当に映し出してスポンサーまで得て収益を獲得する人たちもいるんだから世の中わからないもんですね。

ところで、この世界の全ては誰かによる演出だと思ってしまうのって統合失調症の症状にありそうですねと思って調べてみるとトゥルーマン症候群という症例が実際あり名前もそのまま使われているとのこと。

http://トゥルーマン・ショー妄想 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E5%A6%84%E6%83%B3

 

ラスト、この世の壁にブチ当たったトゥルーマンの気分ってどんなものなのでしょうか。
Fateシリーズに出てくる征服王イスカンダルの夢は「この世の海の果て、オケアノスを見る」というものでしたが実際にそこに無事辿りついてしまったら?
仕事一筋の社会人が定年後に無趣味であることに気づいて虚無のまま生きているようになるのですかね。

この番組のために街一つ分のドームスタジオを作った、エキストラを街一つ分雇った、俺はそれに人生をかけて視聴者を楽しませるためにお前の人生を演出してきたんだ!そういうプロデューサーの語りもありましたが最後の扉をあけられて物語は終わってしまいます。
そして番組が終わればチャンネルを変えられる。
所詮、娯楽って言うものは替えが効くものばかりでそれに人生を賭けるって言われてもトゥルーマンの立場や視聴者からして見れば「お前誰や知らんわ」となってしまいますわ。

結局はみんなハッピーエンドを待ち望んでいる。
例え創作であったとしても、自分が加害者の一旦を担っていたとしても。

会えない時のために「こんにちは」「こんばんは」「おやすみ」、それでは。


ケーブルガイ (1996年)

6点 ケーブルガイに優しくしてあげてください。
見た日 7月24日

 

昨日に見たトゥルーマンショーでホレましたジムキャリーが主演しているやつです。
ちなみに、映画自体はオモコロのケーブルガイ選手権で知りました。

omocoro.jp

 

ちなみに、ブログ書いている私は電気工事士を持っているのである意味私もケーブルガイです。

テレビで育った他人との距離感がおかしいケーブルガイ(電気工事士)がスティーブンと出会いハチャメチャなことをする話。
ジム・キャリーのめちゃくちゃな演技と人懐っこさ、そして舌足らずな口調という第三者から見るとオカシイ人で避けられがちな属性を持っている。

キャラクターについて、これは認知バイアスを上手くとっている
舌足らずは子供と同じ喋り方ということで、低知能を連想させる。
おまけに電気工事士っていうのはブルーワーカーだからホワイトカラーのサラリーマンが自分の部屋に呼んで作業させる召使のような印象も抱く。
そんなやつがホワイトカラーになんのアドバイスができるんだよ、そして周りの人間はケーブルガイなんかと付き合うな(自分たちの格が下がるから)、そして同様にスティーブン自身もケーブルガイとの関係を断とうとする。
つまり、ケーブルガイって言うのは劣っている人という印象を視聴者に与えるキャラクターでそいつが巻き起こすハプニングにスティーブンが巻き込まれていくという分かりやすい構成になっている。

これはトゥルーマンショーやポルカ・キングでも同じだったけれど、自分の信用と言うのは真の友達でもない限り利用価値に過ぎない。
例えば、電気が通らない電池をどうするのかというと捨てるように利用価値がなくなれば捨てられる。
まあ、捨てられる側からすれば非情なやつらという印象でしかないのかもしれないけれど、逆に言えば技術や浪漫だけをウリにしたやつに貢いでるんだからそれに見合った働きをしないような奴は切り捨てられて当然という見方もできる。

さて、映画の内容ですがコメディチックに描かれていながらケーブルガイの頭のおかしさにホラーの要素もあるので見てて飽きさせない娯楽映画。

まあ、そんな感じです。
しかしジムキャリーが面白いから面白い。
ちなみに監督はナイトミュージアムの主人公の人だそうです。

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これ以降、これまでのような感想を書く癖が唐突に消失したため、だいぶ適当になります。

また、映画もあまり見なくなりました。すんません。

 

きみと、波にのれたら(2回目)(2019年)

100点 何度見ても良い。2度目は最初から泣く。
見た日 8月11日

初視聴時、余りにも良すぎて一週間たっても映画が頭から離れませんでした。

その後、さらに一週空けて落ち着いてからもう一度見てみました。

先のレビューを読んでもらえたらわかるのですが、音楽を聴くとそれがトリガーになってしまい涙があふれてしまう。

冒頭の思い出ではなく、これからの期待や希望しかない青春をリアルで過ごしているふたりの姿を見てください。

事故が起き、その風景は思い出になることもできず受け入れることができないまま物語は進んでいきます。

そして、クリスマスのシーンに戻ります。立ち直った彼女は彼がいた街で生き続ける。

人、ひとりが持つエネルギー、与えうるエネルギーをこの映画からは感じさせられます。

本当に大好きな映画になりました。

 

レ・ミゼラブル(2012年)


8点 名作は全部見たほうが良い。名作だから。
見た日 8月12日

視聴前までのレミゼラブルに対しての知識、原作の邦訳タイトル名は「あゝ無情」(えせ文学青年並みの感想)

名作って聞いたけどドストレートでしっかり名作でド肝抜かれました。
ひとりの男、ジャンバルジャンの壮絶な人生を追っていく構成、場面場面で音楽が流れることで印象に残りやすくなる。
フランス革命当時の作品でもあるために若者がフランスを守るために立ち上がり街全体で撃って向かう革命蜂起のシーンが良すぎる。
やたら音楽番組でも露出されていた「戦うものの歌が聞こえるか~♪」の歌を老若男女全員で声出して歌う、歌うことができる。果たされることはなかったわけですけど、革命のあるべき姿であると革命大好きっ子のワイは思います。
一番好きな曲はred and blackです。

www.youtube.com

Youtubeで公式が動画全部上げているのでそれだけでも見たらよい。刑務官のおっさんがジャンバルジャンの人生に魅せられて身投げするシーンも良いし、アンハサウェイの夢やぶれても良いし、本当に全部のシーンが良くてそこに音楽が流れているから、作品全部が良いのです。

 

トップガン(1986年)

7点 エースコンバットやりてえ~~~~~~~~~!!
見た日 8月7日

トップガンってこんなに前の映画なんだ。
まあ、物心ついたころから超有名作品でだからこそ見ていなかった枠の作品でもある。

これまででいうと、TSUTAYAの旧作名作コーナーに数年の人生をささげないといけないところが、それ以下の金額と労力で済むサブスク配信のおかげでこの手の作品を見るハードルがとても下がったよね。

恵まれた時代に感謝。

見ようと思った理由としては、新作があまりにも絶好調すぎて歴代記録にも名を連ねるくらいの売り上げをマークしているとコロナ禍で低迷していた映画業界にも明るい兆しが見えてきた今日この頃で話題に乗り遅れないようにと思ったためです。

新作見にいけよと言う話ですが。


まあ、同時にハリウッドのリメイクブームはもうこりごりという声も聞こえてきますが…。
これは、当ブログで繰り返していますアニメ単発映画がむずいという耳タコ話と同様ですが、そもそも劇場公開という売り方も含めてですが他はNetflixをはじめとした配信という同業にして対抗が現れもうハリウッドをもってしても新作でバズらせることが難しいという現れですね。
映画評論家の皆様には是非ありとあらゆる映画見てもらってバズらせの新しい形を見せてもらいたいものですね(底辺ブログ並感)

 

さて、本編のお話。ムキムキのトム・クルーズ、当時はなんと24歳。本作品のおかげでトップスターの仲間入り果たしたと言っても過言ではない(?)。
御年60歳と還暦を迎えてしまったといっても今の見た目でも若々しいしアクションもバリバリだしで十分すごいんですけどそのレベルの人でも若い時代の溢れる魅力、たまんねえぜ。

まだCGができる前の作品のアクションシーンってどうやって撮ったんだろうとかではなくて、やるしかなくてそれがカメラに収められているっていうのが当時の一般的な感覚なのかな。

当時の作品が評価された歴史なんかはWikipediaにおよそは書いてあるけれど、当時の人々がなぜこの映画を見に足を運んでそしてどういう感想抱いたかとかは当時の政治、情勢、他の話題作等々ありとあらゆる可能性があって想像もできないモノになっている。
昔の大ヒットした映画は今の映画にもエッセンスが残っているからこそ、陳腐に見えてしまうのだけれどそういった感覚も忘れずに行きたい。
この映画、実際にF14に俳優が乗ってるとかいう記事も出てきたけれど、マジですげえな。
そうやって戦闘機をメインにした空戦なんかもなかなか見れるモノではないからこそ話題になったのかな。

 

しかし、この映画の要素…

規律を守らない型破りのアメリカ空軍の天才戦闘機パイロット、そしてその父親は空軍の闇に消された過去が…?

そしてそのパイロットの意中の人である航空のなんか物理学だかなんだかの博士をやっているヒロイン…、パイロット学校で発生した事故と友人の死。

あまりにも出来すぎのグレートアメリカ賛美映画ですね!!!!

アメリカ人は強くあれ!

男なら守るべき家族を持て!

そして愛する家族のために戦え!


もううんざりですね、この手のメッセージがこの時代のハリウッド映画にはふんだんに含まれています。
当時1980年代は忘れがちですけどソ連も健在でドイツも東西に分かれていたというつまり冷戦の真っただ中であったわけですよね。
本作のF-14アメリカの持てる技術の英知、そして敵対するミグ機はソ連の戦闘機ですからもうあからさまですよね。
戦争には英雄という偶像を祀り上げることで自分達も後に続こうと奮起を促し、またはそれを軍の規律の象徴として思想の統一にも繋がるわけで本作のマーヴェリックはそういった象徴たる存在になってるわけですね。
異端児ではあったわけですが、象徴たる存在が”いる”という意識を植え付け、模範的であれという教えが詰め込まれているわけ。

完璧なテンプレートがあってそれをいかに視聴者の琴線揺さぶることができるか、そんな感じの造りの作品が多すぎてもう辟易としますね。
逆に今の映画はそれをさらに巧妙に比喩表現交えてやってくるから小癪で腹立ちますね。

話自体は当時は知らんけど、今見るとかなり普通で特筆すべき点がほぼない(前述のとおり、アメリカ賛美映画ですし)
ただし、こんなに空戦アクションが盛り込まれている映画は見たことがないし、其処だけ見るにしても価値がある。


一番最初の感想コーナーにも書いてしまいましたが、いやあ、エースコンバットでもやりたくなりますねえ!!!

それでは~

 

雨を告げる漂流団地 (2022年)

8点 少年少女が死と向き合う物語
見た日 9月17日

母親が情熱大陸花澤香菜の回を見て感動したとのことで一緒に見た。
ペンギンハイウェイの石田祐康監督。
ひと夏の冒険と思って侵入した団地自体が本当に漂流してしまって、どうしようもなくなるというお話。
小学生程度の子どもが漂流して希望も見えない中、毎日を生き続けなければならないって大変だよな。
漂流教室っぽい話かと思ったら将来に対して希望を持っていない少女とその子にとある出来事から距離を置いていた主人公とのラブロマンスでした。
死ぬことに対して怖いという感情を持ちとどまった先に差し伸ばされている手があってそれになんとしてでもしがみついていく姿、号泣です。

 

シン・ウルトラマン(2回目) 2022年

10点、一緒に見ていた友達の感想(-1000000000点) 

シン・ウルトラマンを面白いと思えないならもうお前が面白くない(過激派)
見た日 11月18日


サブスク解禁でワクワク視聴。
改めてみても本当に楽しい。
何度も出てくるカイジュウ達とそれに慣れて傾向と対策で迎え撃つ科学特捜隊、自分が公務員萌えでもあるため今回のような特殊ではあるけれど独立しているわけではない一般部署が上司にいちいち確認して行動しているところが大好きなんですよね~~~~~。
これは前作のシンゴジラで描かれていたような、決定権握っている幹部が最終決定の判断するための会議ばかりなところは違う下っ端にシフトしているのは最高ですね。
そのメンバーの中にウルトラマンがいて、また省庁またいでの連合舞台であるところも前作踏襲していてよさが爆発。
もう全部が爆発なわけです。

 

 

友達とみていたのですが、無駄なカットが多いという話を散々されて腹が立ったのでここに書きなぐっておきます。

話題に上がっていたのはポテチのシーン(デスノートカット?)


確かに変なアングルではある。
ただしね、なんでここが変なアングルなのかというと前場面のシーンで襲撃からのタイーホをされたわけ。
そこからの場面転換を印象付けるためのアングルである。
ポテチアングルから見ると明らかに場面転換がされたことがわかるのだが、いったいどこでどういう状況なのかのつながりが見えないという違和感。
からの部屋全体というか科学特捜隊面々を映す俯瞰の画角へ。
これが最初から面々を映しているとこの場面で発生した会話から得られる情報「実は監禁されているのではなく、保護されているのだ※1」という絶妙な状況の緊張感が失われてしまう。

①タイーホ→ポテチ→科学特捜隊安全 
視聴者「逮捕されたが、ポテチ食べてる…(安全なんだな←ここ重要)。※を聞いて、そういった状況下なんだ」

②タイーホ→科学特捜隊安全
視聴者「逮捕されたが…、あれ普通の場面になってる。安全なんだ」←緊張感が失われている

 

わかるか?

間のために必要なカットだってことだよ!

 

また、特撮を見ていないので良さがわからないという話をしていたがそんなことは全くないというか、そんな作品ではなかっただろと説教もした。
今時のオタクを気取った一般人は下手に知識を入れてしまっているだけに、「ウルトラマンを知らない」「特撮を知らない」というような時分を何かの枠組み、属性に当てはめたがる節がある。
そういった自分にも向けた偏見のようなものは何の意味もない。
映画を見るにあたってその作品の全てを知っている必要があるのか、では監督の経歴は?俳優の経歴は?脚本家や音楽、配給会社、プロデューサーetc
逆に、これらのすべてを抑えたうえで楽しめる作品があるのか?映画を、作品を、コンテンツを楽しむことの本質を忘れている。
作品を楽しめなかったことを自分のせいにして評価することを避けている。
面白くないなら面白くないと言えばよいのに、これまた昨今の過激化が進むSNSの二極化評価、絶賛(神)かこき下ろす(時間の無駄)かしかない評価になれてしまったが故の産物なのかもしれない。
お前ら、こんなバケモンになるな。
感想は誇張せずに全部言語化しろ!
そして、面白いと言っている相手に批判的なことを言うと関係が悪くなる!初手は無難な事、言って間合いを測れ!

ちなみに、これ以降、一緒に見た友達とは少し軋轢が生じてしまってあまり喋りたくないくらいまでに辿り着いてしまったので今後、私がこういった明らかに自分が好みな作品を相手と一緒に見ることはほぼないのかなと思う。
もし、一緒に見てそういった事を言われたら一瞬で仲を無くしてしまうまでに至ると思う。
もう友達なんかいなくなっちゃうね。
でも、良いんだ。シンウルトラマンが面白いから。
シンウルトラマンは僕のヒーローです。

 

シン・ウルトラマン(3回目) 2022年

10点 最高
見た日 11月26日

父親と一緒に見ました。
この作品、他の特撮をオマージュしてるんか?という話を散々されたが特撮は義務教育だと思って初代ウルトラマンゴジラの映画は数作品見たことがある程度ですので何もわかりません。
若手俳優よりも本作で出てきた内閣のメンバーの俳優に焦点があっていて面白かったです。
だいぶアレンジされた敵なんかも面白くみていてくれてとてもよかったです。
先ほどの2回目のシンウルトラマン評価で記載しましたが、父親は一部の特撮は見ていたでしょうがそれでもほとんどのネタを理解していないと思います。
父親はこの作品の監督庵野秀明氏のエヴァンゲリオンも知らないし、この監督が特撮のファンだということも知らないですし、これまた一緒に見たシンゴジラと同じ監督かどうかすらも私が話すまで知りませんでした。

作品を楽しむという姿勢を培ってもらいたいものです。

 

*1:ここの七番目です。

worldplplpl.hatenablog.com

ところで、アニメ映画ってドラえもんクレヨンしんちゃん名探偵コナン、ワンピースクラスの超人気アニメシリーズの劇場版作品でもない単発の作品ってジブリやディズニー、他に言うと細田守くらいの監督のネームバリューが余程ないとそもそも見られることすらないからとても難しいよね。しかも、挙げた作品に関しては子ども向けになる。アニメ自体が子ども向けと言う偏見は無視したとしても一般人がこれらのアニメを見る”きっかけ”が明らかに少ない。だから売り上げにつながらないしもちろん話題にも上がらない。そんなアニメオタクしか見ない作品がいくらあるのかわかったもんじゃねえ。

*2:詐欺です。利回り詐欺でどんどん投資を集めてある程度の段階でトぶという今でも平気で行われている詐欺です。

高額配当を売りにしている怪しい商材なんかバカみたいに出てきます。ネズミ講もほぼ同じです。

上手い話には裏があることを知っとけ!

http://ポンジ・スキーム - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%A0