ぽこぽこうんぽこ

誰かチャンスをください。頑張って自分なりに小説を書いています。

有益な人生を過ごすためのなんとか

作品について 
 2018年、社会人生活が始まって3カ月ぐらい経ったころ作者はもうしんどくて地元の小説賞に応募したら何とかなるかなあと思って構想を練るもそもそもやる気がひとつもないため原稿用紙10ページくらいで力尽きて自分の才能の限界を知る。ついでに小説を執筆する際の基本的な(明確な決まりがあるわけではない)ルールすらも初めて知る。
 書きたかったテーマは「どこで何をしようとも時間は同じだけ過ぎていく。青春に縛られずに、社会人に縛られずに生きてけ。」

 
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「時間は有限とは言うが、どう考えても俺たちには時間がありすぎる。そうは思わないか?」
暇を弄びすぎた俺は友人に問うてみる。
「お前は暇なんだな。」
もっと言葉をオブラートに包むとかなんかないの?
「包容力を持てよ。」
わけのわからないところで口を開けたせいか、彼は返事を出せずに俺の夜行性でコストパフォーマンスもといカロリー重視の暴飲暴食の限りを積み重ね、そして誕生した腹をつまむ。
「包容力っていうのはお前を包んでいるこれか?」
 こいつは俺と漫才でもするつもりか?だいたい乗り気なのは片方でもう一方は引っ張られるまま始めるというのはだいたいのコンビのきっかけのようはするが。
まあ、話を続ける。
「例えばいつもより五分早く家を出たとする。目的地に向かうには待ち時間の長い信号があったりする」
「あるある。開かずの踏切とか、あれはどうにかならんのか。」
「 それらはいつも通りの時間に出ると全く引っ掛からないのだが、5分早く出たばかりに引っ掛かり続ける。」
「引っ掛からないように毎日改善を尽くしている俺の考えた最強の登校の話か?昔見た教育番組でやっていてなあ。」
「そんで結局学校に着くのはいつも通りなんだ。これは5分早く出たくせに5分のアドバンテージを活かせていないとはいえないだろうか?」
 青天の霹靂、寝耳に水、足元から煙が出る、藪から棒、窓から槍etc…といった表情は全く見せず、
俺の暇を弄びすぎて出した「有益な人生を過ごすための時間論」はこうして世界に革命をもたらすわけでもなく、もちろん自己啓発書としての出版依頼も来ずに潰えた。
ただただ誰しもが経験をする宇宙ってなんなんだろう…って
考えだして昨日の夜は眠れなかったよ~のクソつまらない世間話と同レベルになってしまった。
「俺の時間論をお前らの狭い宇宙と一緒に並べるなよ…。」
「だから俺は7時47分ピッタリに家を出るんだ。」
「「お前は人の話を聞けよ!!!!」」
別に同時に言わんでも、そもそもこの話を始めたのは俺では?
「今の台詞は聞いてたよ。」
適当に返事をして場を和ます。

 しかし、彼の話を聞いてみたところ(聞いてない)俺の出した話というのはなかなかに的を射ているのでは。
「というと、お前は俺の有益な人生を過ごすための時間論を実行しているわけだな?」
「しているのか? 俺は時間がもったいないからやっているだけなんだが…」
 青天の霹靂、寝耳に水、足元から煙が出る、藪から棒、窓から槍etc…類は友を呼ぶとは言うが、お前は俺か?いや、俺は俺だ!我思う故に我あり、故にお前はなし!
自分という存在を再度確認したところで話を続けよう。
「そう思うと、学校で俺はずっと寝ているんだが家で寝ればいいのにわざわざこうして学校に向かう移動時間ってめちゃくちゃ無駄じゃない?」
「学校を寝る場所としてしか認識してないって学生としてどうなん?」
 的確なツッコミ…、わかった。お前はツッコミで俺はボケだ。天下を取ろう。まずは小さい素人漫才大会から…小さなことからコツコツと、師匠も言っている。
「早速、西川きよしを師匠呼びなのは結構だけどな。」
「今のは口に出してないんだが…まあいい。お前は将来何になりたい?」
「わからんから大学に行ってから「でたでたそういうやつ。今の自分(てめえ)の持っている夢を聞いているんだよ、俺は。」
 食い気味に返事を投げる俺は、お前の将来を心配してやってるんだ。
誰にだって将来はある。明日がその将来の一つの景色であるなら今日は、この会話はですら既に思い出の一つでしか無い。
「そうはいっても、俺たちはもう高校生だぞ?夢は見るべきだけどそろそろ現実に向かっていかんとなあ。」
「そのためになんか趣味を始めるとか、興味のなかった分野に足を踏み入れるとかなんかアクションを起こさないとあっという間じゃよ。」
「お前は俺に何を教えてくれようとしているんだ…。だが心に響かんわけではないな」

 こうして俺たちは漫才の道へと足を踏み入れたんだ。

「適当なナレーションで物語を進めようとするんじゃあない。現実を見ろ。」
やはりこのツッコミ力、待っていろ漫才1グランプリ。
「そういえば俺の話した有益な人生を過ごすための時間論の話に戻るがお前はそこまで完璧な登校を構築して、お前は夜な夜なナニをしているんだ?」
「変換ミスのせいで俺が性欲の権化みたいな印象を読者に与えるのは良くない。ただ確かに俺は何をするわけでもなく時間に追われているような、急いているのは間違いないなあ。」
「だから、その生活リズムを改善して俺たちで天下を取ろう。」
「どうしても天下を取りたいようだが、もっといくらでもあるはずだろう音楽でもなんでも。」
 意外だった。最近の若いやつとは言えばやれ動画サイトでチャンスをとか、つまらないやつが面白いやつを見て面白いやつになって楽に生きてぇ~としか考えてないと思ったがこいつには音楽という夢があった。
「やるなら若いほうがいい。ボーカル&ギターはお前で俺はベースだ。夢はでっかく武道館だ。」
「お前の妄想癖は音楽じゃなくて小説にでも活かせば一旗揚げられそうだが、そのことには気づかないんだな。」

 そんな話をしているうちに教室の平均年齢を上げるひとりの男が入ってきて俺は寝た。
 よく寝た。テストが近いやら遠いやらの話がありチャイムがなり、一日はここから始まる。
俺の有益な人生を過ごすための時間論では徹底的に無駄を省くように説いている。前述でもあった通学時間の短縮はまさに基本といえる。
 じゃあわざわざ学校に来てまで寝ているのはどうなのかというと、コストパフォーマンスの話を出さざるを得ない。
 睡眠は全てに於いて優先されるべき事項である。そして睡眠は無駄を上塗りにするという最高のパフォーマンスを私たちに齎してくれる。
 無駄な時間を過ごしに来ているのではない。睡眠をしに来ている…、完璧すぎる。そして俺はそれを完遂したのだ。いや、完睡と表現しておこう…。
「早く帰ろう。お前の有益な時間がロン?のアレがあるんだろう。」
「麻雀でもやるつもりか。」
 有益な人生を過ごすための時間論が今ここで完成してしまったと思っていたが、なんと夢だった。夢で完成してしまうとは、完全無欠。死角がない。
「俺、考えたんだけど勉強を頑張るわ。そんで医者にでも」
「は?」
 お前は俺とバンドを組んでサマーなんとかとかロッキンなんとかで名を馳せるんだが?
「実は小さい頃に弟を亡くしているんだよな。なんか難病とかで、お前が散々探しているきっかけを俺も見つけたっていうことで頑張ってみるわ。」
 止められねぇよなあ。未来に可能性に溢れる若者の夢を、ただ無駄を省くだのなんだの言っているだけでなーんもアクションを起こさない俺がよう…。
「ということは、今からお前は勉強を頑張る。俺はお前を応援する。有益な人生を過ごすための時間は無限ではない!有限だ!走れ若人よ!」
二人でひたすらに走って帰った。
生き急いでいるようだ。
俺たちには明日があり未来がある。
夢を実現することができる。可能性がある。
少なくとも、今は。

 今思うと先のしようもないこのできごとをきっかけにして、彼は常に勉強をしていた。
 噂によると授業というものが学校という機関では毎日開催されていて、
生徒である我々はそれに参加するというシステムがあり彼は毎日欠かさずそれに参加しそして成績を残してきた。
一方で俺は未だに暇を弄んでいた。時間は有限だ。無限ではない、彼は勉強を頑張っているから俺は邪魔をしない。
 というのも、頑張っている人間というのはどうもとっつきにくい。自分と違う世界に居て、しかも籠っているのだから。
 彼と俺とが疎遠になるのはそう難しいことでもなく、必然とかそういう運命すら感じさせないほどに自然な流れではあった。
学校という機関はどうも授業を受けない生徒には優しい対応をしない。
徐々に居場所がなくなってしまった俺は、次第に完睡を行うにはほど遠い環境に身を置いていることに気づく。
ストレスは睡眠の質を奪う。俺は気を病んだ。

 有益な人生を過ごすために、有益な人生を過ごすための時間論を考え出した俺はその論最大のポイントである「完睡」を否定せざるを得なかった。
 結局、この有益な人生を過ごすための時間論こそが俺の人生では無駄に値するものだった。
 有益な人生を過ごすためにはどうすればいいか、考えるまでもなく俺に有益な人生を過ごすためのものはなにもなかった。
 それこそ弟が病気で死んだとか、ある日宇宙から飛来した宇宙人が裏庭で鳴き声を上げているとか、
世界は核の炎に包まれて伝承者の俺は…とかそんなことが有益な人生を過ごすためのきっっかけとしか考えてなかったのではないか。
しかも俺はその話の主人公になる気満々であった。
「普通が一番難しい」よく凡人が言う、だがヒーローも言う。それぞれが与えられた立場で精いっぱい頑張っていることを如実に表している。
 言うならば、彼が勉強を頑張ったきっかけはきっと俺の有益な人生を過ごすための時間論ではなかった(だってこの理論自体が無駄だったから)。
彼は主人公で弟が病気で死んだというきっかけから彼の物語は始まっていて、俺との会話は覚醒前の前日譚の一部にしか過ぎない、誰も気に留めない。
 当時は悦に入って、夕日(家)に向かって駆けだしたものだが。
思い返せば何もないはずの俺は彼に「今の自分(てめえ)の持っている夢を聞いているんだ」という台詞を吐いたことがある。
まあ主人公以外の登場人物が主人公と同じような志を持っていたり、自信を持っていたり、夢を持っていたりするわけはないか。
でも俺だってこの世に生を受けた限りは俺だけの物語ぐらい主人公でいたいよなあ。

 ここで問題。じゃあ俺の夢は何だ?

 「何かを始めるに遅すぎるということはない。」とは最近の夢のない若者に投げる言葉ではなく、
夢を諦めてしまったとか夢があるのに時期尚早だとかの言い訳をして燻っている。
そんな大人に向かって投げられる言葉である。
 よーい、ドン! の合図で夢というゴールテープに向かっては走り出すものの、人によってはそのゴールの前には何故かチョモランマが聳え立っていたりする。
迂回すれば道はあるんだろうが、果たしてそこだけがゴールじゃないのが人生だ。周りを見渡せば川もあるだろうし村もあるだろうし、やっぱり急な谷もあるし。
選択するのは自分次第で。俺は山に登っても楽しくないが世の中には山に登ることだけが生き甲斐の変わり者もいるんだからわからないよな。
 そんな登山家を横目にするでもないが、人によっては一本道のらくらくコースで自転車でもバイクでも好きな乗り物がご用意されている者だっている。
中にはどこでもドアが設置されていたり。ガイドがいたり(そいつはドラえもんか?)。それらは無いにしても道案内が出ていたり。
まあ、青狸ガイドの出すどこでもドアやタケコプターを使用して得た景色が先の登山家が見た景色と差異があるかは知ったことではないが。
そりゃチョモランマがあったら諦めちゃうよなあ。しかし、俺が今一度この夢を見てみるとどうだろう目の前には何もない。
周りには地平線が広がって、太陽は昇るし沈む。すると今度は月が昇るしこれもまた沈む。
なんにも無い場所で空を見上げるとどうしてか迚も綺麗で延々と見続けていた。星にも夜があり朝が訪れる。
 なんにもない大地にただ風が吹いていた。
 夢は寝れば見れるよだとかつまらんことをいうわけではないが、俺は夢を見れなかった。
 若しくは、そんな夢しか見れなかった。はたまた、そんな俺だからこんな夢を見れたのか。
 引き籠りを始めて、こういったことを毎晩考えてしまう。そして朝になって眠気が俺を襲う。
 狭い宇宙を揶揄したが、あれは俺のものだった。つまらん奴の思考が読めると決めつけていたのは、俺自信がそいつ等だったからだ。
 気づけば日は暮れ、また俺には進む道を防ぐチョモランマもドラえもんも出てこない引き出しを開け閉めしていた。
 アクションを起こす、足りなさはここに全てある。
 無気力な若者を笑ってきた。なぜなら彼らは無気力だからだ。有益な人生を歩めるわけがない。
 今思うと俺は鏡を見て笑っていたのだろう。俯瞰して自分を見ることが全くできていない。
 いや、天界から見下ろしているということにすれば俺は滑稽だったろうが、いやいやそれより俺はまだ生きている。
 「何かを始めるに遅すぎるということはない。」なんといい言葉なのだろう。まだ俺の中にも熱くなるものがある。
 辿り着くべきはこの言葉、この考え方であった。

 大学に入ってやりたいことを見つける。そうしよう。
 中学生をやっていた頃も性格は今と変わらず同じことを思っていただろうがしょうがない。
 中学の頃と何も変わらないということで手を打ってもらおう。あとは1000円でも握らせれば中学の俺は黙るだろう。
 そうと決まればアクションを起こそう。今までの俺が出来なかったことを俺はやっている。自身に満ち溢れていた。
 有益な人生に決まりはない。試しにインターネットに答えを探しに行くといい。
答えはインターネットに全て転がっているわけではないんだぞと俺は最近の若者に差をつけてやった。
 俺が起こしたアクションは高校へ行く。なんと一週間も続いた引き籠り生活、もとい頭痛腹痛風邪はこうして完治した。
 いや、させた。若さはそれだけで万能薬になる。
 俺には夢がない。だから夢を探すために大学へ行く、だから高校へ行く。それが夢だ。目標だ。
 意気込みはいい。誰だって何かを始めるときは意気込んでいくものだ。
 恐らく漫才師を目指すものは漫才1グランプリを目指すだろうし、バンドを組むものはサマーなんちゃらとか、ロッキンなんちゃらを夢見るのだろう。
 そこからアクションを起こすか起こさないは人それぞれだろう。
 俺は起こした。若人でありたいと思うなら夜に生きろ。深夜は人を若返らせるぞ。
立てば暴走、群れれば絶叫、口を開けば夢語り。薬物よりもハイになれる。深夜最高!薬物、ダメ、絶対!

 ただ、薬物にしろ夜更かしにしろ、一時の気の持ちようで得た結果はたかが知れてる。朝が俺を常人に戻す。
 俺はドラキュラじゃないから朝も動かないといけない、動けてしまうのだ。

 時は過ぎて俺は「高卒新採です頑張ります。」と職場で挨拶をしていた。周りからは拍手をもらった。
 どうしてこうなったと思ったことはない。正しい生徒として高校へ通う間に俺は気づいた。

 みんなやってるやん…。

 高校へ行くという目標を掲げて高校へ通うだけで周りに差をつけたような気になっていた。
 結果はここにあって、そんで俺はここに立っている。昨今の進学至上主義の傾向から鑑みるに、見る人が見れば笑い、貶し、陰口を叩かれるだろう。
 でも、お前らだっていつかは働くんだろうに。彼らは自分たちが有益な人生を過ごすためには大学に行かなければならないという考えに固執している。
 早いか遅いの違いだ。お前らが大学で何かをしている間俺は社会に出てそれまた何かをするのだ。そうでありたい。
 どちらかというと「何かを始めるに遅すぎるということはない。」が刺さる側に来てしまったのは間違いないのだが、
 それは遅すぎる枠に嵌ってしまったということであるとともにこの言葉を実行するべきタイミングでもある。
 今となっては思い出せないが、当時熱烈に支持をしていた俺の「有益な麻雀で人生を」みたいな話と比べると随分と信用できる言葉である。
 思えば何かに急かされていた気がする。
 夢を得るためにとか、学生という有限の時間に縛られて過ごすうちに。
 当時は有限だったが、今は延々と続く時間を過ごすだけになった余裕から生まれた知見だった。
 セミは地中で数年の長い間を幼虫の姿で過ごし、地上に出て一週間の間に相手を見つけるためこれでもかとミンミン喚く。
 しかし、本当のセミは一週間の倍は生きるらしいし勝手な物知りで決めつけて悲観に暮れる必要は決して無い。
 思ったより長いということは、想像しているよりもチャンスは十分にあるだろう人生もそんなところで、
 だからこそ「何かを始めるに遅すぎるということはない」の言葉は支持されているのだろう。だが、セミにしても俺のこの例えにしても、どちらもうるさい。
 理由はわかっていても騒音は騒音で喧しい。
 多分、ほぼエスカレーターのような流れで高校までの進学をしていくうちに最初の壁である大学の受験を目の当たりにしたときに学生としての寿命みたいなものを感じていたのだろうと思う。
 大学もよくわからんし、その先もよくわからん。少なくとも大学に向けて勉強した今のやる気を無駄にしないためには最善の選択がこれだろう。
ということで世間様にはご容赦を願いたい。
 仕事は面白かったし、先輩も優しかった。
やるべきことが決まっていて、実際それをやることで評価を得る。そして給料という対価で労いを得る。
 このサイクルのおかげで俺は自我を保てた。存在意義を感じた。
まじめな生徒として高校に通っていた頃は思えば強いられるような形でしていた勉強もここでは楽しくできた。
 気づけば居場所はここにあり、疑うことはなかった。求めていたものは夢でも有益な人生を過ごすための指南でもなく、居場所だった。
社会に身を置き始めて数年経ち、幾度も見ているはずの桜が今年も咲き始めた。
 朝、ニュースでも見るかとテレビをつけると春は出会いの季節とはいうがなんの因果か友人が出ていた。
 難病がどうとか発見がどうとかいう話なのでどうやら彼を縛っていたものもこれで昇華されたことだろう。
いや、桜が咲いているんだからこの表現はどうだろうな。
 彼がこのような取り上げをされる程に成長した様に、まだ若い俺は年上の後輩に指導する立場にまでなっていた。
 彼は俺を覚えているだろうか。「努力の天才」という言葉があるが正しく彼を表す言葉だと思う。
頑張っている人間というのはカッコいいものだ。時間はあっという間に流れていく。そこまで努力を重ねたお前は凄いよ。
だが思い返せば高校の俺もよく進学至上主義の雰囲気の中で働くという道を見つけたものだ。
当時見ていた夢では道なんぞは何も無いような気がしていたが、まさにそれこそが妄信で盲信だったわけで、そしてそんな俺はもう死んだ。
彼が勉強して今回のような結果を得たように。互いに人生をなんだかんだ見据えていたのかもしれないな。
無自覚に強いられていた勉強も、学生時代晩年の熱心に目的を持ってやっていたつもりの勉強も同じものだろう。
 俺は充実しているよ。テレビに映る彼に囁いてみる。応答したわけではないだろうが、彼は語りだす目線は俺に向けられている。

「恩人というか、面白いやつがいたんです。有益な人生を過ごすための時間論とかいって。
どうも生き急いでいるような、人生は長いが今(学生)という時間は短いぞとひたすらに語る奴が。
その時に自分を見つめ直したとき弟のことを思い出しました。俺がやらないといけないということもないんだろうけどやってみてもいいかなって。
そのためにやるべきことがたくさんあって、それをやり続けていたらここまで来ていました。」

 どうやら俺が今、お前を見ているようにお前も俺を見ていたようだ。当時、彼が決心を決めたときの俺の行動を振り返ってみよう、あれは正しかったんだと。
「彼が今どこで何をしているかはわかりませんけど有益な人生を互いに歩めているといいですね。」
 社会に身を置き始めて数年経ち、幾度も見ているはずの桜が今年も咲き始めた。
 朝、ニュースでも見るかとテレビをつけると春は出会いの季節とはいうがなんの因果か友人が出ていた。
 難病がどうとか発見がどうとかいう話なのでどうやら彼を縛っていたものもこれで昇華されたことだろう。いや、桜が咲いているんだからこの表現はどうだろうな。
 彼がこのような取り上げをされる程に成長した様に、まだ若い俺は年上の後輩に指導する立場にまでなっていた。
 彼は俺を覚えているだろうか。「努力の天才」という言葉があるが正しく彼を表す言葉だと思う。
頑張っている人間というのはカッコいいものだ。
時間はあっという間に流れていく。そこまで努力を重ねたお前は凄いよ。
だが思い返せば高校の俺もよく進学至上主義の雰囲気の中で働くという道を見つけたものだ。
当時見ていた夢では道なんぞは何も無いような気がしていたが、まさにそれこそが妄信で盲信だったわけで、そしてそんな俺はもう死んだ。
彼が勉強して今回のような結果を得たように。互いに人生をなんだかんだ見据えていたのかもしれないな。
無自覚に強いられていた勉強も、学生時代晩年の熱心に目的を持ってやっていたつもりの勉強も同じものだろう。
 俺は充実しているよ。テレビに映る彼に囁いてみる。応答したわけではないだろうが、彼は語りだす目線は俺に向けられている。

「恩人というか、面白いやつがいたんです。
有益な人生を過ごすための時間論とかいって。
どうも生き急いでいるような、人生は長いが今(学生)という時間は短いぞとひたすらに語る奴が。
その時に自分を見つめ直したとき弟のことを思い出しました。
俺がやらないといけないということもないんだろうけどやってみてもいいかなって。
そのためにやるべきことがたくさんあって、それをやり続けていたらここまで来ていました。」

 どうやら俺が今、お前を見ているようにお前も俺を見ていたようだ。当時、彼が決心を決めたときの俺の行動を振り返ってみよう、あれは正しかったんだと。
「彼が今どこで何をしているかはわかりませんけど有益な人生を互いに歩めているといいですね。」
自分を見つめ直す機会を俺の会話から見出した彼がいたように、今日の彼から俺は機会を得た。
 彼と並ぶ、と表現するのは躊躇われるもののなんか始めてみようとは思う。
一般的に夢は夜に見るものという印象が強いとは思う。
昼に夢を自分に問うというのも、昼寝しか時間を潰す方法を知らなかった当時の俺からすると少しは成長したんじゃないか。
昼は昼で天然の光のおかげでよく頭が回るじゃないか思えば蛍光灯は昼があってこそ夜にも映えるものだ。
昼に空想するといえば白昼夢といった言葉があったが、夜に生き続け現在では仕事一筋の人間が昼の世界を歩いてみると新鮮で、それこそ本当に昼に見る夢という意味では合致しているだろう。
じゃあ彼は毎日このようにして夢を自分に問うていたのか。俺たちはやっぱり似た者同士だったってわけだ。

 でも彼のように小さなことからコツコツと何かを成し遂げるために費やすような時間は今の俺にはない。
ああ、これが学生のうちから人生を見据えるということなんだなあ。やっぱり昼と夜とでは見えている物が違うわ。夜は何も見えねえもんなあ。
 しょうがないから人生の一発逆転ホームランを狙おう。どれどれ、とインターネットに尋ねてみた。
万物の答えは全てインターネットが教えてくれる。
教えてくれなかったらそれは答えのない問いに他ならない。誰にでも無理難題を強いるものではない。
 すると、地元で若人向けの小さな小説の賞が新設されたそうで。どれ私小説でも一筆認めてみよう。
そういえばなんだか誰に褒められたか、俺は小説を書くのに向いてるような気が昔からしている。実際に執筆するというようなアクションを取ったことは勿論無い。
 執筆するとなると、やはり題材が必要で少し考えてもみる。
 しかし思い返してみると、俺は幼少期に東大に合格しようと誓い合った女の子がいるわけでも、クリスタルに導かれた勇者でもない。
少々の落ちこぼれはあったものの高卒で頑張って働いている若人である。
 友人は今でもこうして生きているし。テレビにまで出ているし。なんなら彼はこの発見により人を救うヒーローになる。
そんな彼をここまで導いた言葉を放った俺は差詰めクリスタルとでも名乗っておこうか。でもお前も今では俺のクリスタルなんだぜ。
俺は至って普通の人間だった。じゃあ普通の人間を主人公にするのが俺の小説とはいえるのでは。
 主役の隣にはただ仲が良いだけの、ただ喋るだけの凡人がいる。凡人が喋るのは主役がいるからなのだ。
 ちょうどいい具合の主役に値する人間がこうして見つかったのだから。
 じゃあ主人公は俺で、お前は俺という天才のためにせっせと口を動かしてくれや。
 夢を見ていると強気になるのは当時から変わっていないらしい。
 しかも今では酒もある。俺は無敵だ。誰でもかかってこい。
 今日から俺の見る夢は本当に俺の夢を叶えるアイテムとして使われていく。
 俺がこれから記していく理想の明日という夢は、俺のまだ見ぬ明日の糧となるお前の明日があるのもこれまでの俺があったからだ。
 俺とお前は持ちつ持たれつ。夢中だったせいか気づいたら陽は沈んでいた。どれ、強気になったところで今日はこの辺にしておこう。
 
 なんなんだこれは、目が覚めて文書ファイルを開くと酷い日本語が並んでいた。昼に見ようと俺の見る夢は一時の気の迷いが爆発している。
 人生の一発逆転ホームランなんてそうそう打てるもんじゃねえよ。小さなことからコツコツと、だよな。素面の俺は人に学ぶのだ。
 お前は俺の大切な友人だよ。

 それにしても昨夜は飲みすぎたようだ。

 気分転換に今日は5分早く家を出てみるとするか…。

雪壁

作品について
 前作を創るにあたって次はもう少し考えてみようと一週間ぐらい考えて3時間くらいで一気に書いた。
8月31日締め切りのこれまた大阪の自治体か団体かがやってたなんとかの新人賞に応募。
自信はあったけどやはり今読むと臭くて読めないし当たり前のように何の先行にも残らなかった。
そもそも提出が8月31日の23時58分というギリギリっぷり。頭の中ではできてるけれどやる気がない。
ちなみにこれ以降その年に何かを書くようなことはしていないため執筆活動一年目(年度換算)はこれで幕を遂げている。
 
 作品のテーマは「現状を脱却するには行動しかないし、行動してもそんなに何かが変わるわけではない。ただ世界は多少広がる」
仕事が本当につまらんくて、でも転職をする勇気も何もないし趣味もないし友達もいないしなんで生きてるかわからなかった夏の思い出づくりのための作品です。
読んでくれた友達(友達おるやんけ)から国語の教科書に載ってそうと言われてとてもうれしい。

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 拝啓、誰か様へ。
 こう寒くもなってくると、ため息をつくと白く着色されてしまいより自分の不幸というか憂鬱さが目に現れるようでしんどくなりますね。
たとい生命ある限り不可欠でもある呼吸をしてるだけでもまるで延々とため息を吐いているようで尚憂鬱になり、外の寒さも相まって社会からより一層距離を置きたいと思う今日この頃です。
 些か短絡的すぎるようにも思いますが、とっても寒い季節になったので旅に出ました。
いいえ、社会から一層距離を置くために出たかのようにも思えますが残念ながらこれは出張という枠組みに入るようです。
旅行すら仕事のひとつになってしまうとは、尚世間が憎い。社会が憎い。
社会という壁の前で私はただ引き返すだけ、抗うことはできずただ見上げる、見下げられるだけの関係にあります。
 窓から見える景色は一面雪化粧がされており、ただただ延々と続く光景を見続けるのはどうも疲れたのか眠りに落ちては目覚め、また広がっている雪に飽きを覚えます。
国境の長いトンネルを抜けてもそこは雪国で、その先のトンネルを抜けても雪国です。
田舎の電車は進むのが遅く、また景色も代り映えせずと退屈を過ごすにはもってこいのスポットです。
しかし、そのスポットに向かうためにはこれまた私が抜け出そうとしているのとは逆に延々と続くこの線路を辿るのは少々退屈が過ぎませんか?
退屈を求めている人は既に今の私と同じく退屈であろうことですし、繁忙、怠惰の有無は関係ないのでは。
ということは観光協会はやはり”すろーらいふ”なんて田舎に似合わない横文字を謳い文句に、してやったり顔を浮かべている場合ではありません。
こんなところに何かを求めて訪れる人なんているわけはないし、あなたはおかえりの横断幕でもかけていればお役御免です。
 旅路の社内ですらここまでの愚痴を零させる弊社には本当に呆れを覚えます。
「経験が足りていないんじゃないの?」「もっと世界を広げて来いよ」とのありがたいお言葉をもらい隣の観光が比較的栄えている街へと向かっています。
昨今の雪国観光事業は本当に雪でも降っているように冷え切っています。
赤道近くの観光業では常夏の島なんて洒落たキャッチフレーズが与えられていますが、ここは例えるなら常冬の…。十中八九、島のほうがマシなのは言わずもがな。
バブルの遺産から栄えたかつてのスポットがゴーストタウン化に。バブル以前はたわわに実っていたであろう稲穂は既に存在しません。
実るほど首を垂れる稲穂は首晒しの刑としてバブルに殺されました。
 幕府、ではなくバブル将軍の働きのおかげで不毛の土地ができあがりました。
時代も時代、年貢を収める必要はなくなり向こうから税を差し出してくるのですからおかみも優しくなったものです。
しかし、このような状況に陥った我が町があるように、隣町だって似たようなものです。
幹となる駅から比較的近いというだけで生き残っています。
こちらの町も穴場としては名を馳せるていたものの、穴場は流行っているものがすぐそばにあってこそ映えるものであって今では穴場の穴場ということで今では光も差しません。深淵を覗くものはいないけどこちらはいつもあなたを見ていますよ。

 「お客さん、もうダメだわ。ここで今日は降りてくれる?」
 わかりました、と適当な返事をして電車から降りる。もう散々止まっていたし予測はできていたもののこんなとこで降ろされるとは。
隣町との間にある仮に名づけるとすると間町とでも…。我々の町が穴場として栄えていた頃には恐らくお零れで懐が潤っていたであろう町で私の旅は終わりを告げる。
悪態をついていた駅員の様子を見に二両編成の電車の先頭へと足を運ぶ。
 「雪の壁だよこれは、もうだめだね。明日も無理!」
 駅員が雪掻き用のシャベルどころか自分の職務まで、全てを投げだし駅舎に戻った。
中ではストーブがありご老人の井戸端会議が繰り広げられていた。
 やはり恩恵をあずかっていただけあって観光協会と色ペンで書かれた看板を掲げた窓口があり、
ゆるキャラブームに乗っておよそ5分もかかっていないであろう製作時間を感じさせるアイーダちゃんのぬいぐるみ(Mサイズ)を枕にしてよだれを垂らしている若者もいた。
この地域は過去観光ではなく宿屋として潤っただけあり住民は根付いており、また都心まで1時間となかなかの好アクセスを売りにしてこれまたなかなかの高評価を得ているらしい。
観光協会なのに不動産のパンフレットが陳列されていることからその事が伺える。ここから更に1時間離れた我が町が日の目を浴びるのはいつだろうか。
ここで一句、
「初雪を 溶かしておくれ 不動産業(字足らず)」。ああ、冬は寒いなあ。
そりゃあ新幹線が大阪から東京に着く時間で隣町のその隣ないる都心に出ているのでは我が町が日の目を浴びることはまずない、今の若者は生き急いでいるのだから。

 「お姉さん観光?ここいらじゃ見ない顔だからそうでしょ?」
 アイーダちゃんを枕にしていた青年が声をかけてきたのでそうだと答える。
退屈していたらしく、昼時だし一緒にどうかと誘われた。まさかこんなところでナンパに合ってしまうとは。
いや、私の乗ってきたのは船ではなく電車である。
 「俺、旅館で働いてんの。今時ホテルが主流なのにしかもわざわざ都心から一時間半もかけて訪れてくるんだ。物好きな奴もいるもんだ」
 この町ですらそんなもの好きしか来ないんだから我が町には誰が来るのか。先は暗い。
後をついていくと、なるほど田舎といわれているのもわかる。
住宅街が見える方向とは逆に進むと作られた雪道と程よくシャッターで閉じられた商店街があった。
 「田舎ですよねえ」
 それ以上その言葉を言わんでくれ青年。君の瞳に我が町はどう映るのか。
 
 そこを更に抜けるとさぞ物好きで集まるであろう週末は毎度毎度サスペンスが催されているであろうといった雰囲気の旅館の中の旅館があった。
どうやら私はここに泊まるらしい。どうやら私はここで地元の名物料理を食らうことになるらしい。どうやら私はここでゆけむり殺人事件に巻き込まれるらしい。
 「ドラマのロケ地にもなったんですよ。雰囲気だけはあります」
 チェックインを済ませ旅館の玄関に入ってすぐの待合スペースの椅子に腰を下ろす。
 「どこからきたのー?」
 若女将と呼ぶには若すぎる女児が私に話しかけてくる。
私はどこから来たのだろうか。私はどこへ行くのだろうか。
そんなことを考えていたら俯いてしまい少女の出す難問には手も足も出ず、ストーブから鳴るチッチッという音を答えにして後はだんまりを決め込んでしまった。
 「お姉さん、お部屋の準備ができたんで。ミライちゃん案内手伝ってくれる?」
 「てつだうー」
 若若女将は私の手をとり部屋までエスコートしてくれた。
 「ありがとう」
 私が頭を下げると、いえいえーと満面の微笑みでこちらに笑いかけてくる。
幸せな人間を見ているとどうにも私の元気が吸い取られるようで。
私もまだまだ若いはずなのだがこの子から見た私を想像してしまい辟易としてしまうが、笑顔にはいつでも参ってしまう。

 次は部屋の椅子に腰を下ろす。外はやはり辺り一面が雪で覆われていたがいつもの風景ではないからか、旅館という空間が演出を利かせているのか、気分は不思議と少し明るくはなった。
 「そういえば、お姉さんはどこから来たの?」
 「隣町、都会とは反対の隣町」
 「それはご苦労さんだ。雪壁ができちゃったからね。ツイてないね。まあ、俺はお客さん拾ってこれたからツイてるけどね」
 「ホントだね」
 フフフと笑いあう。若い異性どころか人と話をしたのはいつぶりだろうか。
旅先なのにも関わらず、はたまた我が町の事を思い出さなくてはならない。
人はおらず。無論観光客もおらず。変わらない町を変えるためにと。
この町をそんな状況に追いやった張本人たる老人に言われて就職したはいいが私にどうしろと。
現にこの町にすら負けている。
この町に住む青年はこの町の印象を一言で言い表した。「田舎ですよね」かつては田舎ではなかった。
穴場スポットとして名を馳せていたらしい。
だからなんだというのだ、ここは田舎で我々はさらにその先の田舎で人々を招こうを合言葉にアクビを吐いている。
私のせいじゃないのに。冬場は乾燥する。
涙腺からは何も排出されず、乾いた目元を潤すものはなく…
ただただ不毛の地と化していたのは我が町だけでなく自分も同じだったことに気づく。

 旅先の椅子はフカフカで、横では青年がせっせと部屋に荷物を運び、飯の用意をしていた。外には雪が積もっている。
 「隣町じゃあ、地元の郷土料理も何もありませんねえ」
 「まあ、一人暮らしなんでしっかりとしたモノを食べるのは久々です。それに地元の人は別に郷土料理を毎日食べるかっていうとそういうもんではないですしね」
 青年はそうですねと笑った。
 「ずっと地元に住んでおられるんですね。私は関西の人間です。最初出会ったときに話しましたが私もモノ好きな連中の一人だったんですがね」
 青年は自分のことを話し始める。地元に籠っていただけあり、外部の情報に触れる機会がなかっただけあり彼の話はとても興味深かった。
 「そんで、ここであの雪壁に出会いましてね。たまったもんじゃないです。
でもおかげでこの旅館見つけて、今ではずっとここで働いてます。同じような人が良く来るんで、毎回この話をするんです。
仲居さんたちは活気づいてますけど。俺みたいなのが来てるだけなんですよ。そんで雪壁がなんとかなるとみんなどっか行っちゃう」
 私はずっと隣町にいるからね。とオチをつけたところで彼は風呂の説明を済ませ部屋を後にした。貸し切り風呂かと思いきや幾人か人影が見える。
なるほど彼の言った通りあの雪壁の効果は少なからずあるらしい。
浴室にこだまする別の客の話声を聴いて、外に振り続ける雪を見て、湯に浸かる。
真っ暗な夜空と月に照らされ輝いている雪のコントラストは美しく輝いて見え、また私の心の雪をも溶かしてくれるには熱すぎる程の湯温度であった。

 部屋に戻ってもやはり雪を見ていた。身も心も十分すぎる程に暖かく、雪は降れどもすぐに溶けていった。
青年が部屋に再度入ってきて私に言う。
 「お姉さんは他のお客とは違うね。こんなに笑顔になってる」
 彼は口の両端を持ち吊り上げるようにしていった。それだと口裂け女だと笑う。彼も笑った。
 「私の町には活気がない。私が何かしようと何も変わらない。何か変えようと思って都会に出ようと思って止まったこの町には少なからず活気がある。私はその活気にあてられてしまった。」
 「じゃあ俺と同じだ」
 彼の境遇と私の境遇は違うだろう。
しかし、この町の駅で降りてこの旅館に辿り着きやはり感じるものがあったらしい。
 つまらない人生だった。退屈な田舎で気づけば周りに同世代はおらず、過去の栄光を語る老人が私は町に残るだろうと口説きに来る。
適当にやり過ごしているといつしか四半世紀を町から出ることなく過ごしてしまった。
何も感じることがなく何も得るものもなく時間だけが過ぎていった私の人生はここで転機を迎えた。
 目の前には初めて話の合う若い異性がいた。青年を見ていると、何かが燃え上がるような感覚を持つ。
昂った想いは交わり、自分の若さを実感させられた。身を重ね、事が済むと彼は階下へと戻っていった。
 熱くなるものがあった。肌は濡れており、目からは涙が零れ落ちていた。
鏡の前に立ち目を開くと、少し霞んだ視界には雪のように白い肌をした女性が立っていた。
照明はバチバチと音を立てて途端に消えた。スリートジャンプ、停電、雪国では珍しいことではない。月明かりが辺りを照らす。しかし、私の雪の様な肌はその光には照らされず、ただドロドロとした雪溶け水があたりに付着していた。

 翌日は快晴であった。私は朝一番の電車で早くも帰路に立っていた。
雪国育ちということを忘れでもしたのか雪溶けの道路で幾度も転び、昨晩同様に今度は膝から血を見ることになった。雪の壁はすでに水たまりになっており都会へ行くなら今日であろうと確信する。
 押し付けられた役割を果たすために躍起になっていたような気がする。

どうにもならない現実がある。どうにだってなってしまう日もある。
雪は溶けてたが今日も更ければまた雪が積もるらしい。
私の心は窓から見えるこの土地と同じで晴れたり雨でぬれたり、雪が積もったりする。
季節が過ぎればそれらは無くなるがその季節もまた巡ってくる。
しかし不毛で、実るものは何もない。現に私は結果から言ってしまえば何も得ずに、寧ろ何かを失うために旅に出たようなものだ。
壁があり、私はそこを乗り越えられず足踏みをした。
大地が私なら雪は枷だ。雪壁は私の心の壁だ。常夏の島に行くと今度は何が私の壁になるのだろうか、想像してみるとわくわくする。
あの駅員は私のみてくれだ。雪の壁を、私の憂鬱とした心を壊そうとしていた。しかし、すぐに投げ出した。
方法はあったろうに、しかし時間が解決してくれる。今度がそうだった。
そして、彼の人も同じように例えるとするなら私の欲望とでもいったところか。それとも鬱憤だろうか、疲労だろうか、ストレスと呼ばれるものだろうなあ。
これらが該当するならば失うという選択も正しかったとも言えるのか。
間にある町、あの向こうには都会がある。しかし雪国ではある。私の枷はいつ外れるのだろうか。自分に問いを投げてみる。自分からの問いだ。自分の答えを出そう。私は…、電車が汽笛を鳴らした。

 雪が溶けると春になるらしい。私の春はこれからである。次に旅行に出るときはもう少し遠くへ行こう。
今なら、これからの季節なら私はあの先へ必ず行ける。
雪の壁はもうそこにはない。