ぽこぽこうんぽこ

誰かチャンスをください。頑張って自分なりに小説を書いています。

いくつになったの?

「いくつになったの?」

 

 誕生日を迎えたとき、あるいは久しい再会を果たした相手から
「いくつになったの?」と尋ね、または尋ねられることがよくある。
挨拶からの発展の雑談、近況報告としてはこの上なく楽だった。

幼い頃は片手で自分の年齢を表すことができた。
小学生も半ばまでは両手で表すことができた。
十代の間は十の位を略して片手、両手で表すことで応じることができた。

いつしか年齢を聞くのは失礼という常識が共通認識として植え付けられるようになった。
更に年上年下とは別に先輩後輩、上司部下と言った要素が絡んでいた。

いくつかまた歳を取ると親戚や親しくしている友達に子どもが生まれた。
今度は私から他愛のない雑談として「いくつになったの?」と聞いてみる。
「まだ4カ月だよ」
赤ん坊は見慣れない他人からの問いかけにぐずったが子の母親が猫撫で声で応じた。
母親のサポートが加わりこんな小さい子どものくせして生意気にも指は4本たてられていた。
赤ん坊は私が話しかけていても一切応じず、お土産にもってきたパンをモチーフにした正義のヒーローのぬいぐるみの腕を引っ張っていた。
お土産で遊んでもらえてよかった。感想はそれ以上も以下もなく、むしろ狙った通りの反応がもらえてこちらが安心している。
立てられた4本の指は彼の若さの象徴であり、またこれから自分が老いることへの警戒や悲観などは一切感じ取られない。
彼の手元には正義のヒーローがいて、彼の手は母親が動かしてくれる。
自分と彼の年齢の差というか、社会的立場の差を目の当たりにしてしまった。
ぐずぐずしているのは自分なのかもしれなかった。

自分はいくつになったのだろう。周りが当たり前のように結婚して、当たり前のように子供を産むような時分の年齢を指で表すことは少し工夫が必要だった。その工夫にも慣れていないのでしばらく手を見ていた。
仕事柄、何かを持ったり叩いたりと手に力を入れて行う作業が多い。逞しいとか男らしいとかの言いようはあるだろうが一般的には汚い手が腕から生えていた。

赤ん坊のころは親が指を立ててくれたのだろう。
片手で間に合う年齢の頃は意気揚々と自分の年齢を声に出していただろう。
小学生の頃は両手を使って年齢を示したし、十代の頃は十を省略するような工夫で他人に示していたと思う。

いつからか、他人から関心を抱かれる側ではなくなって、そのころくらいから指で年齢を数える時、ただ単に数字を表すものではなくその思い出を振り返るものになっていた。

成人式があった。どこかで大学の卒業式があった。初めて風俗に行った。スマートフォンのキャリアを変更した。現在も務めている会社に入社した。高校の同窓会があった。中学校の同級生が交通事故で死んだ。友達と四国を一周した。幼馴染が結婚した。一人暮らしを始めた。パソコンのオンラインゲームにはまった。競馬で万馬券が当たった。旅行中に友人が前の車に追突され脅迫を受けたりした。ディズニーランドで他人のプロポーズの記念ビデオの撮影をした。レーシック手術をした。幼馴染の赤ん坊にぬいぐるみを買ってあげた。

思い出は一年に一本あったり無かったりした。
振り返ってみるとどうにも記憶がごっそり抜けている期間があった。
今でも毎日何かがあったりなかったりした。
ひと月でひとつの数字を数える頃もあったし、一年でひとつ数えるときもあった。
25歳の頃にはどういう思い出がということから、この思い出はこれくらいの歳の頃にあった思い出だというような具合に振り返りの方法に変わった。

なんてことを思いふけってみたものの数だの数字なんてのはどうでもよくなっていた。
そうだ今日から毎日を記録するためにも日記を付けようかな。でも面倒くさいからやらないだろうな。
帰りに缶ビールでも飲みながら家まで歩いて帰ろう。この辺は河原沿いで歩いていて気持ちが良い。家までの2駅くらいの距離を歩けば腹も減るだろう。今日はどこで飯を食おうかな。

今日のことは思い出に残るだろうか。なんてことを思ったりした。

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あとがき

1年間放っておいたブログですけど2カ月連続で投稿してます。偉すぎる…。

近況、三十路手前ですが誕生日を迎えてしまいました。

これからも歳を取ると思うので今のうちに歳を取った時の話でもしちゃおうかななんて思っちゃいました。

 

まあ、本当は21歳なのでなんも思ってません。

 

終わり。